1990年代、やや流行った用語だったが意味がよくわかっていなかったので読んでみた。
しかしやはりよくわからない。いくつかの観点がごちゃ混ぜに議論されているのでは無いか。提案当時は画期的だったかもしれない知見がその後の認知科学の進展で常識になっていて、何で強調してるのかわからなくなってる部分もありそう。
フレーム問題との関係も議論されているが、結局フレーム問題というのは知能にとって本質的ではなく、記号処理で知能を構成しようとした場合にのみ発生する問題だった、というのが現代的な解釈になるのかな。

とか見た映画とか
1990年代、やや流行った用語だったが意味がよくわかっていなかったので読んでみた。
しかしやはりよくわからない。いくつかの観点がごちゃ混ぜに議論されているのでは無いか。提案当時は画期的だったかもしれない知見がその後の認知科学の進展で常識になっていて、何で強調してるのかわからなくなってる部分もありそう。
フレーム問題との関係も議論されているが、結局フレーム問題というのは知能にとって本質的ではなく、記号処理で知能を構成しようとした場合にのみ発生する問題だった、というのが現代的な解釈になるのかな。
『そろそろ、人工知能の真実を話そう』を改題して文庫化したもの。ちょっと前の流行に対する カウンターみたいな本なので、今読むと、あれ?っという感じ。
シンギュラリティを喧伝しているのは、GAFAが人工知能を利用した支配を、世間に納得というか 諦めさせるためだ、という視点はちょっと面白かった。
宗教団体によるマインドコントロールに関する啓蒙書。一般向けに読みやすく書かれている。 書かれた時期が時期だったらしく、オセロ中島がたくさん登場。 結局あれどうなったんだっけ?
タイトルがちょっとやばい感じがするが、もちろん関係ない。
人間が想像して予想する「幸せ」の度合いは、さまざまなバイアスによって
左右され、およそ当たらないということを、実験や実例を持って
丁寧に説明している。大変おもしろい。
オウムシスターズの洗脳を解くとか言っていて、たしか長女と結婚したとかいうなぞな経歴のひと。 人工知能の研究者でもある、らしい。 この本は、多分に陰謀論なので、話半分どころか話2%ぐらいで読まないと危ない感じ。 にもかかわらず、オチが一周りして「ちゃんと選挙に行きましょう」になっているのもすごい。
心と脳の関係を整理しようという試み。 2章、3章は哲学史。 基本的には、心は脳が産んだ幻影である、という立場。 多くの科学者が共有する、議論の対象にもならないほど ごく当たり前の立場のように見えるが、 一般的にはそうでもないのだろうか。
「絶対音感」の著者の最新作。本人も躁鬱気質で治療を受けたとのこと。 箱庭療法、風景構成法などの紹介。 本当に人の内面と向かい合っているようで非常に興味深い。 残念ながら最近では、患者一人にじっくり向き合うような時間も取れない上、 行動療法等に押されて、ほとんど行われなくなってしまったらしいが、 なんとも残念な話である。
「ブラック・スワン」と同じ著者の先行する著作。 こっちも面白いといえば面白いのだけど、 「ブラック・スワン」のほうが後から書かれているだけあって 議論が整理されているので、あとからこっちを読むことにはあまり 意味はなかったような。。ちょっと失敗。
自ら整形手術までした中村うさぎの美人論。 性同一性障害ならぬ、容姿同一性障害だったから整形したのである、と。 容姿に関するヒエラルキーを上がるためにではなく、 ヒエラルキーから脱却するために整形した、というのは目からウロコが落ちる思い。
しかしぐるーーっと議論が回った挙句、最終的に獲得するべきなのは 「他人を愛する能力だ」という結論にはやられた。 なんとも、遠回りをしたものだ。。これが業というものなのかね。
言語ゲームとは、哲学者ウィトゲンシュタインによって提案された「言葉」を人と人のかかわりの中の機能として捉える考え方。 ゲームという訳はあまりよくないのではないだろうか。 ドイツ語のspiel からきているらしいが、英語でいえばgameよりもplayのほうが近いらしいい。
ウィトゲンシュタインの思想の変遷、朱子学や仏教への言語ゲームの適用など、浅くではあるが広く議論が展開されている。 すごくわかりやすいし、読みやすい。時代背景やヒトラーなど同時代人とのかかわりを描くことで いきいきと描写されている。NHKで1時間ぐらいの番組にしたらいいんじゃないだろうか。
「狂気の隣人」の続編? PTSDやアダルトチルドレン,多重人格といった うさんくさい精神用語を批判している. 人間の精神について分かっていることがいかに少ないかに慄然とする.
著者は,元松沢病院の精神科医.松沢病院のような専門病院には,警察で保護したものの精神障害のため,逮捕しても立件できないような患者が送られてくるのだそうだ.
犯罪を犯した精神障害者が司法の埒外になり,精神病院に丸投げされている(いた?)のは日本ぐらいで外国では専門の施設があるのが普通なのだそうだ.そりゃそうだよな.そうするべきだ.日本でも,2005年にできた「心神喪失社等医療観察法」で改善されつつあるはずらしいのだが,実際の所どうなんだろう.
サリン事件直後の95年夏に発刊された単行本を98年に文庫化したもの.「終わりなき日常」への順応という切り口でオウム事件を解読している.このことばはちょっとした流行語にもなったと思う.
あれから14年もたってしまったわけだが,今の若者は宮台の言うように,終わりなき日常へ順応しているんだろうか.そうなのだとしたら,彼らが50代になるころ,社会はどうなるんだろうか.
心理学の世界には半分都市伝説になってしまったような事例が語り継がれている.その事例がある分野のシンボル的事例になってしまっていると,後生の研究で虚偽であるということが分かった後も,語り継がれてしまう.本書は,そのような事例を幾つか解説している.著者自身が実験心理学者.
インドのオオカミ少女,有名なサブリミナル実験(ポップコーンの売り上げが..というやつ),母親が赤ちゃんを抱く際に左胸に抱くのは心音を聞かせるためだ,という説,プラナリアの「記憶物質」などなど.
心理学という学問の難しさを感じる.オオカミ少女とかサブリミナルとか,再現実験できないし...