個々のプレーの勝敗への寄与を統計的に点数化するというはなし。 野球はこういう処理にとても向いている(個々のプレーが割に独立なので)ことを再認識。 とても面白かったが、投手の貢献と野手の貢献を無理やり点数付けして比較しちゃうってどうなんだろうなあ。 いくら個々のプレーが独立しているとはいえそこまでわりきっていいのか。
例えば、優秀な代打やリリーフエースがベンチにいるというだけで、 相手チームの作戦に影響を与えているはずだけど、その貢献はどうやって評価するのか、とか。

とか見た映画とか
個々のプレーの勝敗への寄与を統計的に点数化するというはなし。 野球はこういう処理にとても向いている(個々のプレーが割に独立なので)ことを再認識。 とても面白かったが、投手の貢献と野手の貢献を無理やり点数付けして比較しちゃうってどうなんだろうなあ。 いくら個々のプレーが独立しているとはいえそこまでわりきっていいのか。
例えば、優秀な代打やリリーフエースがベンチにいるというだけで、 相手チームの作戦に影響を与えているはずだけど、その貢献はどうやって評価するのか、とか。
初代タイガーマスクであるところの佐山聡による本。 シューティングを経て掣圏真陰流なるよくわからない方向に行っているのは 知っていたが、最近ではメンタル系のセミナーまで始めているらしい。大丈夫か。 朱子学とか、フロイトとか、怪しさてんこ盛りである。
しかし、なんというかこの人悪相だよなあ。顔でだいぶ損してそう。
シュートボクシングという、キックボクシングに投技を加えた競技の創始者であるシーザー武志の自伝。 一部の人には「修羅の門」にでてくるライガー剛のモデルといったほうが通りがいいかもしれない。
20年以上前、当時白山にあったシーザージムにすこしだけ通っていたことがあり、 シーザーさんと直接お会いしたことも何度かある。ジムの経営、シュートボクシングの 興行は、素人目にも大変そうで、そのうち潰れてしまうんじゃないかと思ったものだが、 いまもなんとか続いているのはシーザーさんの人徳なのだろうと思う。 今年はシュートボクシング創設30周年だそうだ。 なかなかメジャーにはならないけど、こういうのがあってもいいよね。
伝奇小説作家の菊地秀行による古武道探訪。 単行本は1991年発行ということで、写真の菊地秀行のメガネがあの頃っぽい。。
フルカラーのムック。サッカーやらバレーやらのボールの歴史を写真で。 最新の軟球のデザインが、私が知ってるのと全然違っているのがショック。。
サッカーボールもバレーボールも、いつのまにか私が知っているのと違う 面構造になっている。とくにサッカーはメガネ型と三角手裏剣型とでもいうべき 変な形の張り合わせになっていて驚いた。縫い目を最小化してるんだろうけど、 これって本当に最適なんだろうか?なんか数学的に最適化してみてほしい。
最後が「お手玉」と「けん玉」っていうのはどうなのか。ボールじゃないだろ。
私のフィギュアスケートに関する知識は川原泉の「銀のロマンティック…わはは」(1986)で止まっていたので 読んでみた。グランプリシリーズとか新採点方式とか、色々変わっててびっくり。
一番笑ったのは、松岡修造が観客席から「村主!光を放て!」ので集中力が切れそうになった、という話。 なんとも迷惑な。。。
ケリガン襲撃事件の顛末も面白い。この事件もそうだけど、北米のメディアが競技におよぼす悪影響 はなんとかしないといけないんじゃないかねえ。
そういえばケリガンを襲撃した方のハーディングをモデルにしたキャラクターが、安永航一郎の「スパルタカス」に出てたなあ。。。 Wikipediaによるとプロボクサーになってるんだそうな。。
進学校で1週間に1度しかグラウンドで練習できないのだけど、ややもすれば甲子園?、の 開成高校野球部に1年間取材した「小説新潮」の連載をまとめたもの。 いや、おもしろい。
練習時間がとにかく足りないから守備を固めて手堅く勝つのは無理、 だからガンガン振り回して勢いで大量得点をとって勝つのだ、 という理屈になってるようでなってないようなポリシーがすばらしい。 「勢いのある攻撃と、大崩れしない守備」というモットーには、電車の中なのに爆笑して しまった。
インタビューを受けている選手たちが、なんともナイーブで、だれもかれも なんとも愛おしい。そうそう、こんなヤツいたよな、という感じで。
甲子園なんか行けなくてもいい。ガンガレ。
元大和銀行総合研究所所長にして「虎エコノミスト」の著者が、いかに阪神ファンがすばらしいかを 説く本。私はゆるい巨人ファンなのだけど、危うく説得されて阪神ファンになりそうになった。 ちなみに別に、とくに阪神が素晴らしいとは書いていない。
逆に、巨人と巨人ファンの悪口もたくさん書いてある。いちおう巨人ファンとして言わせてもらうと、
巨人ファンの多くはナベツネの言動には辟易しているし、例年の大型補強で外から選手を取ってくるよりも、
生え抜きの選手をちゃんと使ってほしいと思ってる、と思うんだけどな。
#まあ、今年もどうせまたろくでも無い補強をするんだろうけど。
著者は、ボディーワークの専門家にして能楽師という、かわった経歴の人物。内容としてはすり足のようなトレーニングを行うことで、深層筋、特に大腰筋を使った動きを身につけることが重要だ、ということ。昔の日本人の動作を殆ど証拠なしに賞賛するというこの手の本にありがちな書き方には閉口するけど、大腰筋が重要だというのはそれなりに納得。
ただ、書かれている通り、西洋人の歩き方は実は大腰筋を使ってるんだ!ということになると、別にそれは「和の所作」じゃないんじゃないの!と突っ込みを入れたくなるような気も。
山や海、さらにはなんかの競技をしながらアイロンをかけるという意味不明なスポーツ、エクストリーム・アイロニングの日本における第一人者による本。跳んだりはねたりはともかく、山に登って山頂でアイロンをかけると、禅のような無の境地に至る、っていう話は何かわかるような気がする。面白いのは普段からアイロンがけをしているひとでないと、あまり爽快感が得られないらしいということ。私じゃだめだ、ということか。エベレスト山頂でのアイロンがけを志しているらしいが、成功をお祈りしたい。よくわかんないけど。
日本優位で進められていた2002年の誘致が一転して日韓共催になった背景に、当時のFIFAアベランジェ会長と対立する欧州勢力の意向があったというお話。電通がスポーツビジネスに食い込んだ経緯も興味深い。
しかし、オリンピックといいW杯といい、お金の話ばかりになっちゃうのはどうにかならないのか。巨額の放映料の分配はちゃんと監査されてるんだろうか?
カナヅチである著者が,南青山のリビエラスポーツジムのスイミングスクールに通って泳げるようになるまでの話.この本が成立しているのは,著者のカナヅチっぷりがちょっとすごいのと,コーチの高橋桂先生の教え方が尋常でないからだろう.哲学的ですらある.
わたしは,物心ついたときから泳げるのだけど,高橋桂先生の教えはちょっと面白い.わたしも指導されてみたい.場所が場所だけにすごく高そうだけど.最後についている,著者,先生,先生のもう一人の弟子である小澤征良(小澤征爾の娘)の鼎談も面白い.
1999年の本.今読むと隔世の感が...アンディは死んだし,いまや船木も鈴木もプロレスにもどってしまい,高田にいたってはハッスルの総統(もうやめたけど).K1もめっきり下火だし,総合格闘技もいまいち...
本質的に,ガチな格闘技を見せ物にするのは無理があるのだと思う.ガチだと年間3,4試合が限度.その試合数でプロとして食っていけるわけがない.だからこそプロレスに意味があるのだと思うのだけど.
プロ野球の審判の側から見たプロ野球.プロ野球の審判の異常な地位の低さがよくわかる. ときどき,選手らによる審判に対する暴行が起きるが, なんで公衆の面前で集団で暴行したのに不起訴になるのか理解できない. 星野とか.
そもそも,3時間を超える場合もある試合中,トイレに行くチャンスが5回終了時の グランド整備の間しかない,ってどうなんだろう?ひど過ぎるような気がするが.
著者は,「グラップラー刃牙」のモデルとしても有名な,格闘家.総合格闘技ブームの先端よりちょっと先を歩いていて,戦績にはあまり恵まれていないが,シュートボクシングではチャンピオンになっちて,修斗でもリングに上がっていたようだ.この本は,「フルコンタクト空手」に連載されていた自伝?をまとめたもの.
さまざまな人との出会いを軸にかかれているのだけど,シューティングで関わっていたはずの,佐山聡にあまり触れられていないのが,逆に不思議.天才肌同士,相性が悪かったか.
グレイシーとの関わり,アンディ・フグとの話が面白かった.やっぱりこの人は相当頭いいんだろうなあ.
大相撲のさまざまな問題を個人に対するインセンティブという観点から説明する.八百長はなぜ起こるのか,朝青龍はなんでああなのか.などなど.大相撲で起こっている問題は,現代社会が直面している問題の縮図であるという観点が非常に興味深い.大相撲はスポーツではなく文化なのだから文化マーケッティングをするべきだ,という主張には説得力がある.解説は舞の海.
著者は武術系雑誌でDS図というトンデモ理論を展開していた人物.ゆる体操とかゆるウォークとかも提唱しているようだ.この本は体だけじゃなくて精神的にも「センター」が必要,と,さらに一歩トンデモ方向に踏み込んでいる印象が.まあ,結局「なにか自分の軸になる経験を持て」というような,当たり前の話に落ち着いていたりするのだけど.
ゆるめること自体は,たぶんいいことなのに,説明がオカルトっぽいので損しているような.まあ,オカルトが好きな人もたくさんいるからそっちにアピールした方が得だという判断なのかもしれないが.