「家庭料理」と呼ばれる普遍性をもつと思われるモノが、実は変遷し続けていることを 小林カツ代と栗原はるみというある意味対象的な料理研究家を軸に議論。 二人ともある種の「脱構築」をしているのだが、解体した構築の対象が違うという議論。
対象的なレシピを作り比べるコーナーが挟まっているのだけど、どちらもうまそうだ。。 最後にクックパッドに言及されているのだが、YouTube上の無限に増殖していく レシピ動画についても考察してほしい。あれは食文化に世界的に巨大な影響を 与えていると思う。。
とか見た映画とか
「蕎麦ときしめん」の清水義範による名古屋文化論 。 内容的には「蕎麦ときしめん」を薄めたような感じではある。 名古屋に東海道が通っていなかったというのはしらなかった。
纏足に関する大部の書。色々とびっくり情報が。。 足が成長しないようにキツイ靴を履くぐらいの話なのかと思っていたのだけど、 筋を伸ばし、骨を折って、布で縛って整形するらしい。写真が載っているが、 非常にグロテスク。当然まともに歩けない。貴族だけの風習なのかと思っていたら、 農民もやっていたとのこと。そんなことを1000年近くもやっていたというのだから。。 そりゃ清も滅びるわ。
この本は、纏足そのものに関してだけではなく周辺文化についても述べられていて 大変興味深い。人類の文化ははかりしれん。われわれも後世の目から見たら 珍妙なことをしてるんだろうな。
耳袋という江戸時代の怪談集を京極夏彦が口語に引き写したもの。 単なる現代語訳ではなく、かなり膨らませてある。
耳袋の怪談はオチがなくて怖い。ただ訳の分からない現象が、解釈もなしにゴロンとおいてある、 という感じ。
妖怪という言葉が現在用いられている意味で使われるようになった経緯を、 文献を紐解き丹念に論じている。 水木しげるの影響は私が思っていたよりもさらに大きかったことがわかった。
今現在「妖怪」といえば「妖怪ウォッチ」なわけだが、これは将来 どのようなコンテクストで捉えられるようになるのだろうか。。 楽しみだ。
古くからあると思われている「伝統的」なものが、実は比較的近代に意図的に形成されたものであることを 論証した論文集。 たとえば、スコットランドといえば、バグパイプとキルトだが、実はスコットランドはアイルランド文化圏で このような「伝統」は19世紀になって、商業的な理由で創りだされたのだそうだ。
この他に、ウェールズの伝統行事、英王室の儀礼、ビクトリア朝時代のインド、植民地下アフリカ、 19世紀末から20世紀初頭におけるヨーロッパが俎上に挙げられている。
うまくやると簡単に「伝統」を作ることができるのは、 「江戸しぐさ」や「恵方巻き」からも明らか。 「大喪の礼」だってどこまで伝統的なのやら。。江戸期にできていたとは とても思えないし。。
1982年に出た対談本が、1993年に文庫化されている。さすがに古い。
ちょっと面白かったのは、金田一京介が日本語は膠着語だが、アイヌ語は抱合語なので 言語的には関係ない、としたのが間違いで、もともと同系統の言語なのではないか、 という指摘。この話その後はどういう整理になってるんだろうか。
柳田國男が遠野物語をまとめた後に収集した民話をまとめたものが遠野物語拾遺。 それを京極が現代文に描き直したもの。
源平合戦の余波があんなあたりまで届いていたというのがびっくりだ。
美貌の民俗学者、蓮丈那智が謎を解き明かすシリーズの長編。 途中まで雑誌に連載されていたのだが、2010年に北森鴻が急逝したため尻切れになっていた。 これを、弟子であり婚約者でもあった浅野が引き継いで長編として仕上げたものらしい。 どのくらいオリジナルの原稿があったのかよくわからないのだけど、 特に違和感なく仕上がっている。
明治初期に島根と鳥取の県境の村が忽然ときえた。その村について書かれた手記を偶然入手した 蓮丈那智は調査に乗り出すが、村の存在を隠蔽しようとするグループと明らかにするグループとの 争いに巻き込まれる。 旗師・冬狐堂シリーズの「狐闇」にも繋がる謎の解明の過程で、 ついでのように邪馬台国の正体が判明するという豪華さ。
それにしても、民俗学+ミステリーという個人的ツボをつきまくりの作品が もう読めないかと思うと悲しい。。
よく知られた民俗学の古典である柳田國男の遠野物語を、京極夏彦が現代語訳。 remixというので、もうすこし原典から離れたものになっているのかと 思ったらかなり忠実な引き写しになっている。 オリジナルの遠野物語も、明治末期に刊行されているので、仮名遣いをのぞけば 別にそんなに読みにくいものではない。わざわざ現代語訳する意味あるのだろうか。
原典は、現地での聞き書きを記録したものなので、 小説というか物語という観点でいうと、落ちも脈絡もないようなものばかり。 そのへんを京極夏彦が怪しくまとめて、物語として編み直すという企画なのかと 思ってたのだけど、そういうものではなかったのは残念。 まあ、京極夏彦が消化したものは今後の作品に反映してくれるのだろう、ということで。